『遊民』が2024年9月11日付『岐阜新聞』に紹介されました
※※ 岐阜新聞社より転載の許諾を得ていませんので、紙面をここに掲載できません。ご了承ください (篠田通弘) ※※

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https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/438985



大牧 冨士夫 『遊民』

2024年3月 刊行
A5判 192頁










大牧 冨士夫(おおまき ふじお)1928年5月10日徳山村漆原に生まれ、漆原に育つ

漆原(しつわら)は幕末以前からの村の名。明治になって同じく揖斐川右岸の池田と合わせて大字開田とされ、漆原は通称下開田、池田は通称上開田と呼ばれた。大牧さんはこの押しつけられたような行政地名ではなく、村人に慣れ親しまれた漆原(しつわら)を使っていた。
徳山ダム建設計画のため1985年に徳山村漆原から北方町芝原中町へ転居。1987年に徳山村は廃村となり藤橋村に編入され、やがて広域合併により揖斐川町へ。その後、徳山ダムの湛水によって、旧徳山村の8つの集落跡は門入を除いてすべて水没した

大牧さんは戦争末期を新潟県村松の陸軍少年通信兵学校に過ごし、戦後は岐阜大学卒業後、東海繊維経済新聞の記者を経て徳山村立徳山小学校、徳山村立徳山中学校に勤務。『徳山村史』の編集に参加。転居後は北方町立北方中学校に勤務。新日本文学会、幻野の会などの文学運動に参加
編著に『郷土資料-揖斐郡徳山村方言』、著書に『たれか故郷を思わざる』『徳山ダム離村記』『大正三年「前川民右衛門日記」-美濃徳山村漆原』『異郷の同時代風景』『中野鈴子-付遺稿・私の日暮れ、他』『僕の家には、ムササビが棲んでいた-徳山村の記録』『あのころ、ぼくは革命を信じていた-敗戦と高度経済成長のあいだ』『ぼくは村の先生だった-村が徳山ダムに沈むまで』『中野鈴子 付遺稿・私の日暮し、他』、他。句集に『庭の朝-大牧冨士夫句集-』。共著に『三頭立ての馬車』、『徳山村-その自然と歴史と文化-1』『徳山村-その自然と歴史と文化-2』がある

2021年1月15日新型コロナウイルス感染による誤嚥性肺炎のため死去





生前の大牧さんが力を込めて書きつづった同人誌『遊民』。そこに掲載した原稿を1冊にまとめたいと依頼をいただいたのは、大牧さんが他界される直前のことだった
ご自身のお孫さんや縁のある人に残したいという思いから、自身でスキャナーでスキャンして家庭用プリンターで印刷・袋に折ったプリントを送ってこられ、私から製本所へ依頼して完成本を届けた。しかし、袋綴は束が膨らみ本として見づらくなることはいかんともしがたかった
そこで篠田の判断ですべて版を作り直すこととし、新たな版下を印刷・製本に回すこととした

『遊民』の創刊は2010年夏。以来年2回のペースで刊行され、第16号が終刊号で2017年秋のことだった。大牧さんは他の同人と共にすべての号に原稿を掲載していた
各号に掲載した原稿のタイトルは上図の通りで、自身の関わった文学運動に関するものをはじめとして多岐にわたっている
編集にあたっては同人誌『遊民』連載のまま掲載した。毎号に原稿を掲載したときの緊張感が行間にあふれている、と思う

巻末に私の覚書を併載した

大牧さん逝去を伝える新聞記事などは「『徳山村史』編集に従事し」「ダムで水没した徳山村の歴史を残した郷土史家」と紹介していた。もちろん、それは間違いではないけれど、大牧さんには『遊民』連載のように文学者・作家、また文学運動に携わる文学運動家という大きな面があった。さらには『徳山村史』刊行後に徳山の志ある村民や村内外の研究者とともに「徳山村の歴史を語る会」として村を語り継ぐ活動を続け、この「徳山村の歴史を語る会」を母体にして「徳山村の自然と歴史と文化を語る集い(徳山村ミニ学会)」から「揖斐谷の自然と歴史と文化を語る集い(揖斐谷ミニ学会)」へと発展したシンポジウムの事務局を14年にわたって務め、徳山村を始めとして揖斐谷の自然と歴史と文化に関わる学際的な研究を主唱し、精力的に支えてきたことを忘れることはできない。篠田の覚書ではこれまで余り触れられてこなかったこれらの業績を振り返り、大牧さんが徳山村の歴史を語る会の会誌『ゆるえ』に発表した論文、著作を紹介した。なお用意していた挿図・写真は紙数節約のためすべて割愛させていただいたことをお断りしなければならない
大牧さんは離村前後の慌ただしい村にあって、村の人とともに、徳山村・揖斐谷に立脚した研究を最後まで続けた。このことは誰かが書いておかなければ忘れ去られる恐れがあると、篠田が危機感を持って覚書を書かせていただいた所以である

なお篠田が作成した版下による印刷は ブックショップ・マイタウン 代表・舟橋武志さんにお願いした
舟橋さんには私の20代の頃からたくさんの本を出していただき、またこの本は舟橋さんの体調が思わしくない中を大変な無理をお願いすることになった
『遊民』だけはなんとしても仕上げる、という舟橋さんの執念で印刷していただけたとうかがっている。なお奥付に「印刷 ブックショップ・マイタウン」と入れさせていただくことを相談したのはこの企画が持ち上がったとき。自費出版の持ち込み版下は見劣りがすることもあるので名前を出すことは遠慮している、ということだった。しかし、自分で版下を制作しておいてこんなことを言うのも変だが、なかなかどうして立派に印刷されていてびっくり。誰もが納得の仕上がり。いい仕事をしていただけたと心から感謝している


                                                    (篠田通弘)





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大牧 冨士夫 『遊民』 ■■

  頒価 1,500円+税 150円(税・送料込みで 1,650円 残部僅少)


問い合わせ先 風媒社 (取扱がマイタウンから変更となりました)
         E-mail info@fubaisha.com
         http://www.fubaisha.com/
         〒460-0011 名古屋市中区大須1丁目16-29
         TEL:052-218-7808 FAX:058-218-7709

 








■ 2024年4月24日 舟橋武志さんのFacebook への篠田通弘の投稿原稿


○ 舟橋さんが書いておられるとおり、まさに大牧さんは「知の巨人」でした。大牧さんから託された宿題が山積みです 

○ 私が徳山村塚分校に赴任したのが1978年。それからほどなくある夏の日に塚の冠旅館にみんなと一緒の舟橋さんの姿がありました。古代史研究者の伊藤禎樹さんが誘ってくれたのでした。まもなく徳山村では廃村を前にして「徳山村の自然と歴史と文化を語る集い」(徳山村ミニ学会)が1983年に始まりました。舟橋さんにすがって第1回ミニ学会の報告集『徳山村 その自然と歴史と文化(1)』そして『徳山村 その自然と歴史と文化(2)』をマイタウンから出版していただき、新聞に広告が出る度に知り合いに片っ端から報告集を売り込む毎日でした。あれから40年余が過ぎました 

○ 私は廃村までの9年間を徳山村の塚、櫨原、門入で暮らし、そこにはいつも舟橋さんの姿がありました。冠山を初めて登った日、門入の広瀬喜久蔵さんに案内されて不動滝へと入谷を遡行した日 

○ 名古屋城と門入の水銀鉱山の関係に迫るべく徳山村の水銀の旧鉱「こうもり穴」を求めて名古屋テレビ(メーテレ)のスタッフと一緒に調査に入り、その模様が「発見!徳山村の水銀鉱山跡」としてテレビ番組となったこと。あの番組はヤラセが一切なしで、最後は降雨で断念しかけた最後の最後の瞬間に偶然にも発見できたのでした 

○ 徳山村廃村に間に合わせるべく、編集者舟橋武志の本領にすがってオールカラー篠田通弘著『大昔の徳山村 縄文人の息吹を追って』を編集・出版していただいたこと。もうけ度外視で迷惑ばかりかけました。舟橋さんは徳山村の恩人です。私自身、舟橋さんがいてくれると思うだけで、どれだけ助けられたか、、、数え上げればキリがありません 

○ 『遊民』は見事な印刷でした。大牧さんが他界される前、舟橋さんに『遊民』の自費出版を相談したときに印刷・マイタウンとすることについて「自費出版は見劣りすることがあるから印刷・マイタウンとすることは遠慮している」ということで断念しましたが、見事な印刷でした。マイタウンを奥付に入れなかったことを正直後悔しています。私自身かつてオフセット印刷機・裁断機・製本機を備えて『美濃徳山村通信』『美濃揖斐谷通信』を月刊で500部発行して多少なりともその苦労がわかるだけに、『遊民』を素晴らしく仕上げていただいてことに、舌を巻くしかありませんでした 

○ 『遊民』は大牧フサヱさんと一緒に4月4日に新聞取材を受け、記事化を今か今かと待っています。退院された3月26日、『遊民』版下を返送いただいた時に久し振りに見る舟橋さんの手紙がありました。あの手紙は「鉛筆小僧」舟橋武志の面目躍如といえるものでしょう 

○ 1987年の徳山村廃村から37年。その地の多くが水没したものの、まだまだやらねばならないこと、調査して残しておかねばならないことが山積しています 

○ 篠田通弘の肩書きは SONY αアカデミー講師 / Nature Photographer / 考古学研究者 とよく分からない私。何年か前に某TV局のプロデューサー氏から電話があり、すべて私一人を指すことに「本当に全部同じ人なんですか」と聞かれたことがありました。考えてみれば舟橋さんがそうなんですよね。

○ 『遊民』が記事化されたらお知らせします。みんな首を長くして待っています。長文御免、お許し下さい

                  (4/24コメント投稿、一部加筆補正、篠田通弘)


※ 舟橋武志さんのFacebookへの投稿の全文は『舟橋武志の枯れるまで 80歳卒寿お別れ記念誌 ある出版馬鹿の生涯』(風媒社、2024年5月刊)に収録されています







■ 2024年3月26日着 舟橋武志さんから篠田通弘への最後の書簡(一部)


拝啓

このたびは入院し、大変ご迷惑をおかけしました。先日退院したものの、在宅療養と通院で、まだ本調子にはなれないでいます。もう少し時間が必要のようです。

取り急ぎ版下をお返しします。これだけの制作、ごくろうさまでした。大牧様も喜んでおられることと思います。


…… (中略) ……


岐阜新聞の記事はまだですね。紹介されてもそんなに注文は来ないと思います。むしろそれよりも、どう紹介されるかに興味があります。

巻末の篠田さんの原稿も力作でした。ぼくは『ゆるえ』(篠田註・・・徳山村の歴史を語る会会誌)を一部しか見ていませんが、これを読んで、想像以上に貴重な徳山の記録だと感心しました。よくやられたものです。

思わぬ入院でご迷惑をおかけ致しました。お許し下さい。

       マイタウン
           舟橋 武志



※ 上の舟橋武志さんから篠田への最後の書簡は、舟橋さんが最後は自宅で過ごしたいと桜の季節に退院された時に、『遊民』印刷のために預けてあった版下と一緒に送られてきました
 舟橋さんは手紙は必ず鉛筆で書かれました。あの懐かしい、まるごと鉛筆小僧と言うべき文字に、もう出会えないかと思うと悲しく残念としか言い様がありません

 いずれ、必ず再会する時が来ます。その時こそゆっくりと飲みましょう。病気も関係のない世界で、誰も杯を傾けることをとがめることもない世界で、名古屋城の金シャチと徳山村の関係など、舟橋さんが明らかにされたことなど、ゆっくりと語り尽くしましょう。その時までしばらくのお別れです
 40年余にわたってお世話になりました。楽しい年月でした。ありがとうございました



      2024年9月10日 追記  篠田通弘 








■ ブックショップ・マイタウン 店主 舟橋武志さんが 2024年4月26日 逝去されました


享年80歳でした
今もなお、心の整理がつきません

舟橋さんに初めて会ったのは40年余り前。徳山ダム建設による廃村前の徳山村塚の冠旅館。暑い夏でした。名古屋在住の古代史研究者伊藤禎樹さんと一緒に訪ねてくれました。小原博樹さんはまだ小さい真史さんを一緒に連れて来てくれました
暑い夏、尻込みする舟橋さんを無理矢理誘って、冠山へ登りました

大牧冨士夫さん、舟橋武志さんという、徳山村にとってかけがえのない人が相次いで亡くなったこと、言葉もありません
記事追加の予定

                           (篠田通弘)

  『舟橋武志の枯れるまで 80歳卒寿お別れ記念誌 ある出版馬鹿の生涯』 2024年5月刊 
          は左の風媒社バナーから



■ ブックショップ・マイタウン http://mytown-nagoya.com/index.html

■ 地方・小出版流通センター通信  https://neil.chips.jp/chihosho/center/tsbn20240513.html







■ 以下、 2024年2月4日 MIHARUの山歩き 掲示板 より再録





ガンに克つ ! ガンガントーク


節分の昨日、名鉄百貨店本店8階のTSUTAYAで開催されたタイトルのイベントへ行って来た
立ち見も出るほどの満席で、驚いた

参加者の顔ぶれには見覚えのある人がたくさん
舟橋さんが結婚されたのは2009年3月で、その時に撮らせていただいた方がたくさん参加されていたようだった

舟橋さんとのご縁は43年の長きにわたる。初めて会ったのは私が25歳の夏だった
暑い夏に、みんなで一緒に冠山へ登った
小原博樹さんはまだ小さかった小原真史君と一緒に徳山村塚の冠旅館に残り、私の教え子たちが真史君の相手をして一緒に遊んで私たちの帰りを待っていた

舟橋さんにお大事に、と言いながらしっかり仕事をお願いしてしまい、少々心苦しい
前夜ようやく編集を終えた本は、192ページのかなりの分量
完全版下で入稿させていただいたので、完成したらお知らせできると思う


【舟橋さんがぎふチャン・ラジオに出演】

「カンちゃん、ノンちゃんの ラジオ岐阜弁まるけ」
2024年2月11日17時30分~
「80ジジイの『どう生きる』これからの二年」

ぜひお聴き下さい



                          (篠田通弘)







ガンに克つ! ガンガントーク の 舟橋武志 さん

2024年2月3日 名鉄百貨店 ツタヤ・ブックストア にて (撮影 篠田通弘)